喪失感の連鎖−内と外


生き続けるということは、失い続けることでもあり、それを割り切って生きるのが良い大人、ということになっている。子どもは別れを寂しがって泣くものだが、大人もことの大きさによっては泣いたりする。割り切りは人を救うが、忘却を生み、忘れてはいけないことまで思い出せなくなってしまう。その辺の戸惑いを笑ったのが赤塚不二夫で、天才バカボンのパパのセリフ「忘れようとしても思い出せないのだ」である。

秋岡芳夫先生はショートホープ愛好派で、僕がタバコを切らすと、ホレッと一箱下さって一緒に吸ったものだ。ショートホープ以前はパイプタバコだったようで、それは先輩に聞いた。目黒区美術館で回顧展が開催されている。
美術館と同じ敷地に有る区民センターでは画像のようになっていた。

この囲いの中にいる人の額には喫煙者と刻まれた赤い星でもついているのか、と思いながら、秋岡先生の遺品と遺業とを見た後、そこで一服して帰った。この日はショートホープにした。何も言いたくない。