取り越し苦労

豆餅がデザインを変えて以来、なんだか女の子の部屋に入っているような気がして、自分のブログのような気があまりしないのはなんでだろう?
まあ、また変えたくなるだろうから、少し待とう。

もうすぐ九州場所だ。高見盛がほとんど番付下げなかったのには驚いた。
思い起こせば、明武谷の筋肉質の体格や十八番の吊りに感心してから40年。
早いものだなー。自分が小学生だったのに、子供が大学生・高校生になった。その間、大横綱・名力士が大勢目の前を過ぎて行ったが、さて今後、もしも高見盛が引退などしてしまったら、自分は相撲を見続けるだろうか?
空前絶後にして痛快無比なこの青年が相撲界の宝だと何人がはっきりと認識しているだろうか? なにより本人がわかっていないように見えることがますます光を強めているわけだが。「仁」など考えた事もないだろうに、最もそれに近いものを持っている日本人にみえる。

義経の仕事が終わったが、弁慶についてはもう少しページをとりたかったところだ。まあ、また人気が出てくれば作れることにもなるだろう。弁慶のイメージは日本人のどのような好みの投影か? 調べてみれば、ずいぶん乱暴な奴に描かれているものが多い。最期の姿は大河ドラマでどのように描くだろうか? 月並みだろうか? 泣きどころが、向こう脛ではなく喉仏だ、というのは知らなかった。
明日からはまた次の仕事に飛び移ることになる。仮名がもっと読めるようにならなくては、絵巻類の写真がまともに活かせない。何とか拾い読みでお茶を濁すのでは情けない。